平凡なしあわせ

日常のありふれた毎日を綴ります

③不登校になった娘(過去の話)

 

小学校4、5年生は学校に行けたり(1〜2時間)

長期間全く行かなかったり、ただ運動会や遠足、何かのイベントには必ず出席してた

保健室登校もしていた時期もあった

 

 

それが6年生になると

なぜか登校する日が増えて3学期はほぼ登校出来ていた

 

6年生の時の担任教師は

明るくハキハキした先生で親身に相談も乗ってくれた、私も大好きな先生でした

 

 

 

小学校卒業式には

一人一人舞台の上で《将来の夢》を大きな声で発表した

 

私は次女がどんな事を言うのか、言えるのか?

ドキドキしながら見守っていた

 

 

次女の順番が来て

はっきり大きな声で《将来の夢》を言えた

目の前が歪んで霞んで…涙で良く見えない目ではっきりと見て、聞いて…

 

『頑張った!!頑張った!!すごい!』

 

最高に幸せな時間をありがとう、と

次女に心から感謝の言葉を贈りました

 

 

 

中学に入学し

最初は登校出来ていたのですが…

やはり体調不良で朝起きれない日が続いたりで行ける日と行けない日がありました

 

 

部活でテニス部に入部

部活動は進んでやってましたね

先輩後輩の試練も受け、でも嫌がることなく頑張ってました

真っ黒に日焼けした肌を見ると、小学生の青白い顔の次女とは全く別人のように健康に見えた

 

小学校6年生の時に

ヒップポップダンスを始め、元気はつらつとした姿を見せてくれて本当にうれしかった

 

 

でも、ダンスや習い事は母親が何かと協力しないとだめで、ダンスの発表会での衣装をダンスチームの母親達が作るんですよ

 

布を買ってミシンで衣装作り、段取りなど母親会の集まりもあり、

私はそんな子どもの母親の集まりなんかがすごく苦手で、どうして次女が勝手に好きなことしてるだけなのに、そこまで母親がいろいろ手伝わなきゃダメなんだ!と苦痛しかなかったです

 

 

子どもが好きな事に突き進んで頑張っているのに、どうして喜んで協力してあげなかったのか?と今は思いますが、その当時の私には我慢出来ない苦痛でした…

 

 

周りのお母さん方は

我が子のためならなんでも出来る!と言う方がほとんどでした、それが母の愛なんでしょうね

 

 

そんな私の行動を見ていた次女に影響が出ない訳がない…

 

 

 

中学生デビュー

夜出歩く、帰って来ない、万引き….

精神不安

 

そしてリスカ

が始まったのもこの頃からかも…しれない