平凡なしあわせ

日常のありふれた毎日を綴ります

⑤不登校になった娘(過去の話)

 

中学3年生になり

ほとんど登校出来るようになっていた次女

 

私は一安心

良かった、本当に…

 

 

中学3年生、進路を決める大事な時期

 

ほとんど学校に行けていなかった次女

成績が良い訳がない

 

本人は『公立高校には行きたい!』

しかし長期間学校に行っていない、学力もない

公立高校に行ける訳もなかった

 

担任教師は公立高校を受験をトライしてみる価値はあると言ってくれていたが…

 

私立学校で不登校でも受け入れてもらえるところがあったため、次女には私立学校を薦めていた

 

担任教師や本人と相談しながら

結果的には私立高校を受験することになった

 

 

無事、私立高校に合格した

 

次女はとてもうれしそうだった

家族揃ってお祝いをした

 

 

高校でもテニス部に入り

熱心に取り組んでいた

真っ黒に日焼けした次女を見ると、こんなに元気になって本当に本当に良かった

 

 

けれど

私には安心したと同時に不安感もあった…

 

 

私自身が次女に対して

深い愛情で接していたのか?関わってたのか?

自分の考えを次女に押し付けてたのではないか?という疑問、不安、自身の無さが心の中でも渦巻いていた

 

 

 

学校の勉強も頑張っていたし、クラスの中ではリーダー的な存在だったようだ

友達も沢山出来て高校生活をエンジョイしているようにみえた…

 

 

 

高校3年生

5月頃 体調が悪くなる日が増え

学校を欠席する日が多くなった

 

心配していたが、数日休めば復帰して学校に行けていた…

 

 

 

高校3年生

9月頃

 

いつものように私より早く家を出てバスに乗り高校のある場所まで電車で40分ほどかけて通っていた…

 

次女を送り出し

私も会社に行くためにバスの停留所でバスを待っている時…

 

次女の携帯から

私の携帯に…

怯えたような、か細い声で

 

『お母さん…お母さん…人の目が怖い…』

 

えっ…

 

 

次女の中で何かが壊れてしまったように思った

 

 

急いでどこにいるのか?確認し迎えに行き

家に帰って何がどうなってるのか?

 

パニック状態の次女にゆっくりと話を聞いた

 

 

 

やはり

学校生活が辛く苦しいものだった

電車通学も何度も調子が悪くなり、途中下車して嘔吐したりしながら学校に通ってたそうだ

 

それを私には一言も言わず

自分だけで処理していたようだ

 

 

我慢の限界の限界まで頑張ってしまったんだ

 

 

 

 

その日を境に

次女は再び、学校に行けなくなった…