平凡なしあわせ

日常のありふれた毎日を綴ります

①不登校になった娘(過去の話)

 

小学3年生の担任教師は

本当によく次女に関わりを持ってくれて次女も心を開いていたように思う。

 

運動会や遠足、特別な行事は

『行きたい!』と言って進んで参加していた

 

どんな時でも学校に来れる時は来てくださいと言われていたのでお言葉に甘えた

 

 

小学4年生になると

担任が変わった

気は使っていただいたとは思うが

全く特別扱いはしない担任だった…と言うか

 

3年の担任教師のように家庭訪問もしない、電話も来ない、プリントだけは友だちに持たせるだけ…

 

 

まぁ私はその方が気楽ではあったが

次女にとっては取り残された感があったように思う。

 

 

私は長い期間

家族以外、誰とも喋ることもなく昼間は次女との生活を送っていた

 

今まで自由気ままにしていた私にとって、かなりのストレスである

 

勿論、次女が【学校に行ける】ことが目標ではあるが、毎日毎日どうして【学校に行けないのか?】ばかり考えて次女を責めていた…

 

 

そんな精神状態の私が

次女に優しくできる訳もなく….

学校の話ばかりする私に耐えきれなくなった次女がまた…体調が悪くなった

 

次第に外に出たくない、出れない

食欲がない…

母子分離不安が酷く買い物で出かけるときなど私と「一緒に行く?」って聞いても「外には出かけたくない!けどお母さんと離れるのは嫌!行かないで!!」と泣き出す始末…

 

家族で外食に行くと

嘔吐を繰り返す…夜眠れない…

悪夢を見る…

 

 

何もかもがマイナス方向へと…

 

 

 

長い長い暗いトンネルの中にいた

 

 

 

そんな私に

以前働いていた上司から電話があり

近状報告すると…

『気晴らしになるかも知れないから短時間でも働かない?』と…

 

息が詰まる 次女とのやりとりから解放される喜びでいっぱいだった

 

主人、長女、次女に相談し家族会議

短時間、週に1〜2回ならいいんじゃないかと、次女はその時間は留守番が出来ると言ってくれた

 

 

もともと仕事大好きな私はこの今の現状から逃げ出せるならどんな仕事でも出来る!と意気込んでいた

 

 

仕事を再スタートし

生活にメリハリもつき、同僚などとも会話が出来る、うれしかった

普通の会話がしたくて…たまらなかった

 

その当時不登校の児童は少なく同じ悩みを持つ集まりや親の会などはなかったように思う

 

そんな場があれば何か変わっていたのかもしれない

 

 

友人に相談しても【かわいそう、大変だね】

と言われる、プライドが高かった私には深く相談することができなかった…