五感の黒豆マドレーヌええもん😋
考える力
先日ウトウトとしていた時間に
婿(次女の夫)から電話がかかってきた
携帯を手に持っていたので
すぐに電話を取ることが出来たが…
そんなに頻繁に電話がかかってくるわけではない相手からなのでめっちゃ戸惑った
ちょっとハイな感じで
すみません、次女のことで…
えっ??
次女に何かあったのでは?😨
と何かと思いドキドキしながら話を聞けば…
まぁ次女の事で相談してきたのではあるが
相談内容については余りにも下らないので省略させてもらいます😓
しょうもないことです
そんな事、自分で判断出来ないのかよ!
夫婦で解決することでしょ!
ってな感じです
呆れるというか怒りレベルでした😓
こんな事を言ったら絶対次女は怒るんですよ〜
って何度も言ってました
また連絡するからと
その日は電話を切りました
その夜はなかなか眠れませんでした😑
嫁が怒るからって嫁の母親に相談することか?😟
ふつふつと怒りが…😠
自分の旦那が私にこんな事で相談してきた事を知ったら、次女は相当怒るの間違いなし😂
この次女の旦那
次女と住んでいるアパートにネズミが出たことがありました😓
次女は怖かったので、その旦那になんとかしてぇー😱と助けを求めたら…
実家のママ(自分の母)に速攻電話をかけて
ネズミが出た!どうしたらいい?😨
と焦って聞いてたらしい…
その姿に次女は呆気に取られて
自力でネズミ駆除業者に連絡したそうです😓
今やネットがありますやん、自分のママに聞かなくても対処法あるでしょ😓
このように何かあるたび(大した事ではありません)に実家のママに相談するそうです
でも肝心な事や、重要な事は次女には相談もなく勝手に決めてしまうそうです
今の世の男性はこんな感じですか?😰
私は男の子を育てた事がありませんが…
私の周りにはこんな男性はいませんでした😩
まぁ10代なら分かります
しかしこの婿
今年30歳になります😓
今回の件も…
私の想像ですけれど…
実家のママに相談して…
私から次女に言ってもらったらいいんじゃないかと言われて電話してきたんだと思います⤵️
自分で考える力がないのか?
それとも…次女が怖いのか?←あるかも😥
翌日
これも私の試練だと思い…
婿を傷つけないように😓
長文でLINEを送りました…
このような方法もあるし
こんな言い方もあるよ!
でも夫婦でよく話し合わないとね!
夫婦で何も言えない関係はダメだと思うよ
と…
婿からは
ありがとうございます
そうしてみます
と返信がきました💦
自分の考えはないのか?
考える事が出来ないのか?
考えてもいい案がなかったのか?
重大な事ならともかく…
まぁ…彼には重大な事だったかも知れません😒
親は子どもより先にあの世に旅立ちます
いつまでも側に付いてあげれません
自分で考え、失敗してもいい
失敗したら今度は失敗しないようにすれば良い
結婚生活で他人同士が暮らすんだから
いろいろあって当然です
そこを擦り合わせていくのが夫婦でしょ?
摺り合わせられない相手もいるでしょうが…😓
考える力を持ってほしいと思います
私は、そう思っています😞
あわじ花さじきと三角パン😁
日曜日の朝にだるま朝日を見てから
故郷を後にしました…
また来るね〜👋
って
道の駅で新鮮な野菜を買い込み
満足した私😊
ふと見ると…旦那さんパンを持っていた💦
えっ?いつ食べるの?それ?😅
でっかい三角パンを2つ持って買ってました😓
まぁいいかぁー、でも私が食べる羽目になるんだろうなぁ〜😥とこの時は思ってました
淡路島にお花が綺麗に咲いてる場所があるから
行こうって旦那さん😃
花を見るのが好きな私😊
行ってきました😆
あわじ花さじき
入場無料 駐車場無料
「あわじ花さじき」は花の島にふさわしい花の名所として、兵庫県が平成10年4月から設置しています。
淡路島北部丘陵地域の頂上部、標高298~235mの海に向かってなだらかに広がる高原に一面の花畑が広がります。(面積約15ha)
明石海峡・大阪湾を背景に花の大パノラマが展開し、季節により変わる愛らしい花々が夢の世界に誘います。
眼下に広がる花のジュウタンを楽しめる、極上の見物席として、『あわじ花さじき』と命名されました。さじき席ですので、自由に散策して自分の席を見つけてください。
あわじ花さじきHPより引用
ん?🤔花ないけど??🙄🙄って感じの解放感バッチリの広大な土地が広がっています
ありましたー!菜の花!
この時期は菜の花とストックしかないようです
菜の花畑の向こう側には牛が放牧されてました
アベック違うー!🤣 カップルがチラホラ☺️
↑↑わかる人はわかる😁
ありました!ストックの咲いている場所
色とりどりのストックが綺麗に咲いてました😊
で…
このような観光地なので
当然食事をする所があるだろうと思っていたのですが💦
どこにも無くて😭お腹空いたよー😂😂😂
道の駅で買った三角パンを車の中で食べました
それがこちらの三角パン
子どもの頃よく食べてました😂
懐かしい味でしたが…口の中の水分持っていかれました😅
このパンが昼ごはんになるとは〜!🤣🤣🤣
普通のパンとカステラの間にジャリっとした
クリームで挟んでます、甘いです!😆
懐かしの味、147円❗️
この日のお昼ご飯はこれのみでした😆
あわじ花さじきを後にして
高速道路をかっ飛ばし←旦那さん
大阪まで帰りました〜❗️
またいつもの日常がやってきます…
だるま朝日が見れました😆
父と姉の法要で
兄弟全員ではないけれども
久しぶりに集まった面々と弟宅で
ワイワイと食事しながら
それぞれの近況を語り合った😊
私たち夫婦は、食事の後兄弟たちと別れ
去年のお正月にも宿泊したホテルに
一泊するのでそちらに向かった
今年のお正月に見れなかった日の出が見れるかも知れないと期待していた…🙂
私も旦那さんも何故か眠りが浅く
ぐっすりは眠れなかったけれど…
朝になり
朝食を取るためのレストランで
ふと外の風景を見ると…
少しずつ空が明るくなってきてました😊
ホテルの人曰く
今日はだるま朝日が見れますよ👍
って言うのでワクワクが止まりません😆
だるま朝日
11月中旬から2月下旬にかけて四国ではダルマ朝日という神秘的な光景を見ることができます。ダルマ朝日とは水平線から登る太陽がΩ(オメガ)の形に見える現象を指します。
明るくなってきた空
ワクワクしながら風景を見てました🤗
だんだん空が明るくなって…
あっ!日の出❣️
綺麗に光り輝いています☺️
おぉぉー😃
だるま朝日です😆
神秘的、まさにその通りです😲
あー…
もうだるまじゃなくなっちゃった😳
一瞬のだるま朝日でした
初めて見ました
すごく感動…
なんとも言えない
大自然の威力
素晴らしい景色をありがとう😊
高校卒業までは
この景色を毎日のように見ていて
当たり前の風景だったけれど
当たり前ではなかった事に
気づかされる大自然のありがたさ
心が浄化されました…
自然と手を合わせてました
ありがとうございます😌
部屋に帰って美しい朝日を手に😆
太陽が本当に近くまぶしかったー😆
旦那さんも今まで生きてきた中で一番感動した
と呟いてました☺️
本当に感動しました☺️☺️☺️
故郷への想い
土曜日の早朝に大阪から
父と姉の法要に行くため故郷へと帰省しました
私の故郷は四国の辺鄙な田舎です
高校卒業まで暮らしていました
帰省は去年のお正月に私の同窓会があったので一年ぶりの故郷です
ちょっといろいろ疲れてた私
田舎に近づくと共に…なんだろう🙂
見る見るうちに元気になってきました😊
いつも大阪の田舎で暮らしていますが…
それでもプラスイオンに囲まれています😓
四国に渡る明石大橋や鳴門大橋を渡ると
海の風が…潮の香りが…風景が…
私の心を癒してくれました
masukirariおかえり〜✋
って言ってくれてるようで…☺️
山の緑や、山の空気…青い空に飛ぶトンビが…
心を癒してくれます
父や母はこの世にはもういなくて…
大好きな姉もこの世にはいないけれど…
おかえり〜
って私の心に響きました
故郷では弟夫婦が墓守をしてくれています
そのお陰で私たち兄弟は安心して任せられます
母が亡くなった時に
地元に住んでいる弟が
墓守を自ら俺がするからと言ってくれました
そんな弟には姉として
本当に感謝しかありません😌
幼い頃は殴り合いの大喧嘩を
よくしてましたが🤣
兄弟の中では今では一番仲良くしています
ここ数年は母や姉の法要で
頻繁に故郷に帰省する事が多かったんですが…
以前は数年に一度しか
帰省する事はありませんでした
母との確執があったので帰省する事を拒否してました
今回、帰省して
私が高校卒業して大阪に出発する汽車に乗るために母が見送ってくれた最寄駅
たまに帰省して大阪に帰る時も母が見送ってくれた最寄駅
子育て中2人の娘を連れて帰った時も、大阪に帰る時は必ず最寄駅で見送ってくれました
その駅でいつも母が見送ってくれた場所があるんですが、その場所に行ってみました…
汽車から母を見ていた私…
見送る母の立場で、母がいつも見送ってくれた場所から汽車を見ると…
何とも切ない気持ちでいっぱいでした
泣きそうでした…
いや、ちょっと涙出ました😢
故郷にいる年数よりも
大阪にいる年数の方が長いのに…
幼少期から多感な頃に
過ごした場所だからだろうか?
私の原点を作ってくれた場所
やっぱり好きな場所
いつでも待ってくれてる場所
それが故郷なんだろうなぁ
一緒に私の故郷に帰ってくれた旦那さん
長時間の運転頑張ってくれました😊
ありがとうと感謝を伝えました
8050問題に思うこと
8050問題
引きこもりの若者が存在していたがこれが長期化すれば親も高齢となり、収入に関してや介護に関してなどの問題が発生するようになる。これは80代の親と50代の子の親子関係での問題であることから「8050問題」と呼ばれるようになった[5]。該当している親子の親には収入がなくなっている状態であり、様々な理由から外部への相談も難しく、親子で社会から孤立した状態に陥っている。
Wikipediaより引用
テレビのニュース、ネットニュースなどでよく取り上げられている問題
この問題について私は感情的に他人事ではない
と思っている
次女が登校拒否、不登校、リスカ、引きこもり、家出、自殺未遂があった頃
特に引きこもりの時に
我が娘は一生このままの状態なのではないか?
それは避けたいが…
どうすれば?何をすれば外に出られる?
そんなことばかり考えていた…
次女の現在はというと
結婚、子育て、仕事もして普通に生活している
ここまで来るのには何年もの月日が流れ
親と子の壮絶な戦いもあり、家族が撃沈するかとも思われた日々がありました
私は家庭内で次女が回復する事が難しいと考え、そして何度も何度も挫折し、真っ暗なトンネルの中でただひたすら次女の回復だけを願っていた
けれど待っていても、次女が回復する事はなく
それどころか悪い方向にいってしまうばかりだったんです
もちろん、精神科や心療内科の受診もしたし、薬も飲んでいたし、次女本人のカウンセリングもしたが良くなる要素がなかったんです
藁にもすがる思いで心理や不登校の本を読み漁り、夫が持って帰ってくれた新聞コラムの切り抜きを見て心に響いた…
それが縁でカウンセリングを受けることになりました
そのカウンセリングを受けなければ
今の次女はなかったし、今の私もないと思っている
何もしなければ、何も始まらないし
誰かに相談すれば、いろんな知恵を教えてもらえる
凝り固まった自分の思考や育った環境からの自分の性格などを知る良い機会になった
厳しく育てられると、自分の子どもにも同じように厳しくしてしまう
そう同じようにしか育てられない…
同じように育てて問題が起こってしまった
これは未熟な私への日々の心の勉強だった
自分が変われば相手も変わる
自分自身を変える為にカウンセリングしました
言うのはその人の自由、するのはその人の自由
相手に気を使い過ぎて何も言えませんでした
子どもを信じてあげる
自分の子どもを信じてあげることが出来てませんでした
お母さんしか治すことが出来ないんですよ
母親が子育てには一番大事 子どもは80〜90%の確率で母親の影響を受けると言われました
自分ですごく納得しました
この言葉は全てカウンセリングで私に対して良く言われた言葉です
家庭内で起こった様々なマイナスな事柄は
外部に相談することが難しいかもしれない
でも家族間だけでは、マイナスをプラスにすること自体が難しいと思う
少しのアドバイスで好転する場合もあると思います
今は専門の相談窓口も増えていると思うので
どうか外部に助けを求めてもいいのではないかと思います
親が歳を取りいつまでも子どもの面倒は見られません
一人で生きて行く術を身に付けさせ、独り立ちさせるのが親の役目ではないかと思います
当たり前の事ですが、当たり前に出来ていなかった私です
厳しくし過ぎてもダメで、厳しくてもそこに子どもに対する愛情があれば、子どもは育っていくんだと思います
子育ては…親育て…
阪神淡路大震災から25年
あの日…1995年1月17日
25年前の今日
私たち家族は団地の7階に住んでおり
いつもの朝を迎えるはずだった…
5時46分
川の字で家族4人で眠っていると…
突然今まで感じたことのない、大きな揺れで目が覚めた…
大きな箪笥がある部屋で眠っていた私たち…
あの頃、あんな大きな地震がくるとは思っていなかったので箪笥を置いている部屋で寝るのが当然だったんです
気がつくと
旦那さんが箪笥を押さえていた
私は慌ててすぐ側で寝ていた次女を引き寄せ…
私から少し離れて寝ていた
長女は大きな揺れの中…
眠っていた😨それも爆睡😨
後にみんなから長女は大物になる!って言われてた(笑)
慌てて長女の身体を抱き寄せて2人の娘を大きな揺れから守るように抱きしめて…
箪笥は大きくゆらゆらと波打ちガタガタと音を立てる
それを倒れないように押さえる旦那さん
私たちに倒れないようにと踏ん張ったと…
私や娘たちを自分の体を張って守ってくれたんだと嬉しく頼もしかったなぁ
あちこちから破壊音が鳴り響き…
いったい何が起こったか分からない恐怖感…
あー早く早く…おさまって…
と願う
揺れがおさまり
家の中を見て…蒼然
ブラウン管のテレビは見事に
テレビ台から転がり落ち
食器棚から食器やガラスコップが放り出され
粉々に…テーブルや椅子もひっくり返り…
ずっと震えが止まらなかった…
続けて何度も余震があり…
その度に恐怖に慄いた
余震が多くて常に目眩がしているようだった
今でも地震は各地で発生していますが
地震がある度に私はあの時の恐怖が蘇ります😰
テレビで神戸が大変な事になっているのを見た
大阪であの大きな揺れ、それを上回る巨大地震
テレビの映像で悲惨な状況を見る度に
震え上がった…
私の兄はその当時神戸市に住んでいたので慌てて電話をしたが繋がらず…
3日間くらいは連絡がつかず…
心配したが兄と電話が繋がった時は心から安堵した
見慣れた神戸の風景が…めちゃくちゃに壊れているのを見て呆然とした
この震災で多くの人たちの尊い命が亡くなり
絶望しかなかった風景に深く心を痛めた
あれから25年
今の神戸はあの震災の風景はどこにもなく
美しくて、そして力強い街になっている
あの大震災は忘れられない
娘たちは大震災の記憶は全くないと…
7歳、3歳だったもんね…
自然災害が多い中
防災意識を高める日でもある
忘れられない…忘れてはいけない日である