平凡なしあわせ

日常のありふれた毎日を綴ります

癒しのカウンセリング

この話は今から数年前の話である…

 

高校を、無事なんとか卒業できた次女

 

ちょっとした外出が出来るようになった

 

私とも散歩や買い物など少しずつ出来るようになった…

 

 

私がカウンセリングをしている間に

夫と次女はスィーツ巡りを楽しんでいた

 

ネットでここのケーキが美味しいとか有名とか

二人で探し楽しみながらカフェで私のカウンセリングが終わるのを待ってくれていた

 

 

カウンセリングに通い始また頃は

車から一歩も出ることが出来なかった次女だか

夫の楽しそうな計画に気持ちが持っていかれたようだ

 

 

もともと活発だった次女

楽しいことは大好きだった…

 

 

私も夫のように、次女が楽しめることを率先して計画出来ていたならば、少しは次女の心も軽くなっていたかもしれない…

 

 

あの当時は

真っ暗闇の真ん中で、一筋の光も見えなかった

 

ただ、目の前の次女の変わり果てた姿に

悲しみと怒りが入り混じった感情ばかりだったから…

 

 

カウンセラーの先生からは

何度も

お母さんが治れば、次女さんも必ず治ります

 

 

今まで秘めていた、あなた自身の感情を全て出さなければ次女さんの感情を受け止めることは出来ません

 

幼少期からの怒り、哀しみ、寂しさを全て出す作業を何度も繰り返し、カウンセリングの中で行った

 

 

昔の事って

私たち大人になって覚えていない事がほとんどだと思う、幼少期のとき、どうだったかとか、よっぽどの出来事がない限り覚えてないはず

 

 

幼い心はすごく傷付きやすく

傷付くのを防ぐために、忘れるということを自然にしてしまうそうだ、自己防衛

 

 

私は普通に生きてきて…

確かに生まれ育った環境はあまりいい環境ではなかったとは思う

 

 

でも、自分自身だけが生きていくには、なんの支障もなかったが、子育ての場面では幼少期の大人になれない心が邪魔をしていた…

 

 

アダルトチルドレン

私はそう、アダルトチルドレンだったのだ

機能不全家族の中で育った子ども…

子どもの頃に受けた傷を抱え続けている大人

 

 

 

それは、次女が不登校、引きこもり

などの現象があったから、私がアダルトチルドレンであったとわかった…事実

 

 

次女がいなければ、次女が不登校になっていなければ、一生気付くことができなかったかもしれない…

 

カウンセリングの中で自分自身を

癒すということが出来てくると自然と次女も症状が良くなった、不思議である…

 

 

身体が、心が軽くなっていくのが自分でもはっきりわかった

 

 

しかし、そう簡単ではなくて

次女が良くなったり、悪くなったりを繰り返していたのは事実….

 

 

ある日、突然原付バイクで

どこかに出かけたかと思うと警察から連絡があり、『走行中の車にバイクで突っ込んだ』と

 

 

なんで、なんで?

 

慌てて、警察官から言われた救急病院に行くと

受付のベンチで項垂れている次女がいた…

 

自殺を図った…

次女を抱きしめ泣いた…次女も泣いていた…

 

 

怖かったのだろう…

スピードはほとんど出ておらず、フラフラとした原付バイクが近づいてきたので避けたと、相手側のドライバーが言っていた…

 

 

 

この事件から、私は

次女に対しての

不安感、監視が強まった

 

また、何かするのでは?

次女を信じてあげることが出来なかった…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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⑦カウンセリング娘と共に

厳しさと優しさ

 

ある日のカウンセリングで

 

今の自分から、幼少期の自分を優しく呼んでみてください

 

これが簡単に出来ませんでした

 

何度も優しく言っているつもりでも

『もっと優しく〜』

って何度もダメ出しされました

 

 

 

それは私の母が

私を呼ぶときの癖と全く同じだからです

語尾を強めながら呼びます

 

優しく呼ぶってどういう風に?

って困ってしましました

 

するとカウンセラーの先生は

『じゃあ

私があなたの名前を優しく呼んでみます』と

 

 

『◯◯◯…』

何度も優しく…

私の名前を呼んでくれました

優しく…繰り返し…呼んでくれました

 

 

 

涙が出ました

心に響く…とても優しい呼び声でした

 

 

 

そう、

私はこんなに優しく呼ばれたことがなかったのです、本当は優しく接して欲しかったはず…

幼い私は優しさに飢えていたのでしょうね

 

大人になっても、他人には優しく出来ても

身内、夫、子どもたちには素直に優しくすることが出来なかった…

 

それは

私が幼少期から 身内の優しさには縁がなかった

 

良いこと、人に褒められること、勉強を頑張ったこと、をしても、褒めてもらったことがない

 

変に茶化したり、バカにされたりもした、怒りが込み上げてきたこともあった

父や母、兄弟、親戚に…

 

 

茶化されたりすると、

自分が恥ずかしくなり、

自己否定ばかりしていた、自分を愛してくれる人なんか何処にもいない…

自己評価の低い人間だった…

 

そう思っていた…

 

 

それは、

このカウンセリングでカウンセラーの先生によって、頑張っている自分を褒める

という大切さを教わった

 

自分のこと褒めるなんてした事がなかった私

 

 

心の中で何度も自分を褒めるが、何度も貶す自分がいたりして、非常に難しかった…

 

何となく自分を褒めるのが上手になってくると

夫や、娘たちにも自然と優しくなれた…

 

 

この頃

夫や娘たちから

 

『お母さん、カウンセリングに行ったら優しくなる』

と言ってくれていた

 

 

1週間に一度のカウンセリング

 

 

私はカウンセリングに行くのが楽しみだった

 

カウンセリングを受けると心も身体も楽になり暗かった心の中が軽くて、清々しい気持ちになった

 

その気持ちが1週間持つときと、

次女への対応で、爆発寸前まで怒りが抑えられなくなるときがあった…

 

 

その繰り返しで

今こうして私がいる

 

次女がいる

 

夫、長女がいる

 

私の大切な家族

 

 

 

 

 

そして今、現在

娘たちにも大事な家族がいる…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⑥カウンセリング娘と共に

 

次女、彼氏との別れ

 

 

気持ちが不安定、目がうつろ、食欲がなくなる

毎日のように繰り返されるリスカ

 

夜中に起きるとリビングにいる次女…

泣きながら…

 

『どないしたん?』

 

『◯◯と別れた…おまえしんどいって…!もう面倒みられへん!って』

 

『私、こんなで生きていく意味あるん?お母さん!死にたい…!』

 

 

次女を抱きしめながら

 

『何いうてんの?私の大事な娘や!死んだらあかんで!死んだらあかん!』

 

この世の終わりのように…

狂ったように泣き叫ぶ次女

 

そう、幼子が迷子になった時のように不安気で親を探し求めて泣き叫ぶ姿に似ていた…

 

夜中の静けさの中で、ただ次女を抱きしめていた…

 

 

『大丈夫!大丈夫!お母さんがいるから…守ってあげるからね』

 

 

必死の思いで、震えながら、母娘で泣いた…

 

 

その後も、

次女の様子は変わらず体調不調は続く…

 

 

失恋ソングを聴いては涙がボロボロ…

 

ネットで知り合った人とメール、電話

 

突然、『出かける』って言うので

 

『どこに行くの?』

 

『ちょっと…』

 

で出て行ってしまう…

 

 

晩御飯の時間になっても帰って来ず、

電話を入れても無視

 

 

荒んだ次女が

次から次へと付き合う男性を変えていった…

 

 

埋められない心の隙間を、男性への依存心で埋めていたように思った…

 

 

しかしどんな男も

次女の執拗な依存心に心が離れていった…

 

 

また外に出れなくなる日々が続き…

お風呂に入らなくなり、髪の毛はカチカチになり強烈な臭いを発していた…

 

 

毎日『一緒にお風呂に入ってシャンプーしてあげるから』といっても首を横に振るばかり…

 

 

 

その状態が数ヶ月続いた…

 

 

何かが、次女の中で起こったのか?

【お風呂入るから頭洗ってくれる?】って

 

 

何度も何度も洗うが

固まった髪の毛がほぐれない…

頑張ってシャンプーする、

ちょっと泡立ってきた!って感じで何度も次女の髪の毛を洗う

 

 

流石に疲れたのか、お風呂から上がるとクタクタになっていた次女…

 

ドライヤーで次女の髪の毛を乾かす…

乱暴な私の手が次女の頭のあちこちに当たってしまい、【痛い!】を連発される

 

 

次女のいろんな事に関わろうとしては

失敗してしまう私

 

けれど

見放してしまうのは簡単なこと

今まで自分中心で子どもの心を蔑ろにしてた

 

 

 

言うのはその人の自由、

するのは相手の自由

 

 

よくカウンセラーの先生が言っていた言葉

 

 

こんな事を言えば、相手は傷付くのでないか?喜ぶのではないか?

と先回りして相手の考えを読み取ってしまう

実際は相手がどう考えてどのような行動をするのかはその人の自由…

 

私自身も相手の気持ちを読み取る癖があった…

 

 

次女は

私の何倍も、何倍も相手の気持ちを読み取る能力があった、相手の顔色、息遣い、目つき、喋り方など、いろんなところに精神を使い果たして疲れ果ててしまうという悪循環

 

特に

小さい頃からその人の心を読み取る能力があったのだろう

 

 

私が機嫌が悪く

イライラしている時は、何とかして面白いことをして笑わそうとしてた

 

それをイライラしている私が無視すると

すごく傷付いた顔をしていたのを覚えている

 

幼い次女の心は

深い傷を負ってしまっていたのだろう

 

 

毎日、過去を思い出し悔やんでいた私

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⑤カウンセリング娘と共に

 

 

次女は

高校3年生の3学期に体調壊した…

 

 

引きこもっている間

当然、通学が出来るわけもなく…せっかく頑張って通ってたのに、もう中退になってしまうのだろうか?

 

でも通学しなければ単位も取る事も出来ない

仕方がないのか…

 

 

 

そんな時

高校の担任教師からの提案で

 

『学校内でも◯◯さんは優秀でテニスも大会に出場するなど、頑張って来ていたのでこれは本当に特別な事ですが…学校側も単位を取るために何度か学校に来てもらい、教科プリントを提出していただければ、単位を取れるようにしてあげたいと思っています…』

次女が通っていた高校は

通信制の高校と連携しており通信制での卒業という事になるが了承してもらえるかと事前に言われていた

 

次女にとって、私たち家族にとっては

夢のような提案だった

 

 

しかし、この電車に乗って学校に行く

という行動が、そもそも難しく

 

電車に乗ると皆んなが私を見て笑ってる

 

怖い

 

吐きそうになる

 

目眩、頭痛

 

など様々症状が出てしまうため

私も一緒に母子登校の許しを得て通った

 

教室には当然入る事ができないため

特別教室を借りて教科プリントをするといった感じで、柔軟な対応をしていただいた

 

それも何時間も出来る訳もなく

1時間、多く2時間頑張ればいいほうだった

1週間に1回のペースで通った…

 

 

たまにクラスメイトに遭遇することもあったが

 

クラスメイトたちが、次女の顔を見るなり

 

本当にうれしそうに飛び跳ねながら

次女の周りを取り囲んだ

 

『◯◯〜!会いたかったよ〜!』

って仲良しな子たちが

 

うれしそうにしていた次女

 

 

そのクラスメイトたちとは

今、現在も交流があり仲良くしている

 

 

人はひとりでは生きていけない

 

 

心底そう感じた

 

次女も私も

いろんな人に助けていただいた…

そして、夫や長女がいるから

今あるしあわせがある

 

この頃、

私は やっとわかり始めたような気がする

 

 

しかし、次第に

週に一回の登校も出来なくなり

教科プリントを私が学校まで取りに行く事が続き、次女がプリントに目を向ける事も出来なくなった…

 

 

 

再び

学校に相談

 

担任教師からは

『大きな声では言えませんが…』

『お母さんや、お父さん、お姉さんがプリントしてもらっても大丈夫です!』

 

本当に本当に

すごい柔軟な提案でありがたった…

 

そんなズルイこといいのか?とも思ったが担任教師の提案をそのまま受け入れさせてもらった

 

 

 

家族総出で次女の学校の教科プリントに励んだ

 

 

その私たちの姿を見てなのか、

次女も体調不良と戦いながら懸命に教科プリントを仕上げた

 

 

どうしても高校は卒業したい

 

次女の願いを叶えてあげたかった

 

 

皆んなで四苦八苦しながら…

 

 

なんとか、なんとか…

 

なんとか…

 

無事に高校3年の春に卒業する事が出来た…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

④カウンセリング娘と共に

 

母が亡くなり

一周忌が終わるまでは何度も

故郷に帰っていた私

 

家族揃って帰省する事もあったが

私一人で帰省する方が多かった

 

 

そんな中、次女の精神状態が不安定になっていった…

 

高校一年生の頃から付き合っていた彼氏に

【別れ】を告げられたらしい…

 

何度も何度も【別れたくない】と次女が執拗に迫った結果

 

別れと復縁を繰り返していたようだ

 

外に出られない娘が

『どうしても彼氏に家に来て欲しいからお昼に彼氏が来るからご飯作って!』

と言うので毎日のように2人分昼ごはんを作り次女の部屋に持って行った

 

 

次女が回復するためにはご飯を作るくらい何てことないと思う気持ちと、どうしてこんな事までしなければいけないのか!と言う相反する怒りの感情を押し殺しながら生活していた

 

 

ある日

次女の彼氏から私に…

 

リストカットをする事に対して責めたり、聞いてきたりしないで欲しいって◯◯(次女)が言っています、凄くイヤなんだと言っているのでやめてあげてください』

 

私に直接言えばいいのに…

そんなに私には言えない、言いにくい…のか…

 

愕然とした…ショックだった…

 

 

私と次女の関係性はこんなものなんだ…

 

カウンセラーの先生が説明していた

母と子の関係性

というものが解ったような気がした…

 

 

何でも母に言える、相談できる

嫌な事も、うれしい事も…

そんな関係性が私と次女には無かったのだ…

 

 

私と母の関係はどうだったか?

明るい話題は言えるが、心配事や暗い話題は一切言えなかった、悩み事など母に相談した事なかった…相談しても困る顔が想像できた…

 

親には心配させたくないと

自分で全て解決していた…

 

 

そうか…そうか…

次女もこんな気持ちなのか…

 

どうすれば何でも言える関係になるのか?

 

 

 

 

優しいお母さん、何でも話せるお母さん

そんな母にならなければ次女は治らない

 

今、娘さんはガソリンの入っていない車の状態

動こうと思っても、自分だけでは動けない

 

愛情をかけてあげないと、心が育ちません

 

私は自分の母に優しくされた事もないし、子沢山の家庭に生まれ、ある程度大きくなるとほとんど放ったらかしの状態であった私

 

 

どんな事をしてあげれば、愛情深い母になれるのか?こんな私が次女を果して救ってあげる事が出来るんだろうか?

 

 

お母さんしか治せなんですよ

 

私は子育ての中で、母親だけがするものではないと考えていた

 

夫は子煩悩な人で、子どもたちも、夫のことが大好きである

 

そんな優しい夫に随分助けられて子育てをした

 

 

私にしか治せない?夫ではダメなのか?

 

子どもはみんなお母さんが大好き、お母さんから生まれてきて、貪欲にお母さんの愛情を欲しがるんです

 

その母が子どもに愛情をかけてあげなければ

何らかの問題行動を取ってしまうんですよ

 

 

大丈夫、お母さん自身の鉄のように固くなった心を解放すると母親としての愛情を娘さんに沢山かけてあげる事が出来ます

 

 

毎回カウンセラーの先生から言われた言葉…

 

 

 

 

 

今でも私の心の中には息づいています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

③カウンセリング娘と共に

 

ある日

母と次女の病気のことを電話で話した

いつも厳しい母が、その時は

 

 

『おまえも大変やな〜無理せんときや』

優しい優しい声で…

 

 

 

そんな優しく語りかけてくれたことは今までなかった、心が晴々とした気分だった…

 

 

カウンセリングは毎週土曜日

夫の運転で通っていた

仕事で疲れているだろうがそんな素振りも

一切見せず

ドライブを楽しんでいた

 

 

ある日のカウンセリング

幼少期を回想するところから…

 

幼少期の私を呼び

母を呼んでごらんとカウンセラーの先生が…

 

呼んでも母の声は聞こえるが姿が見えない

 

何度も

『お母ちゃんー、お母ちゃんー』

 

見えない母の姿を探すがどこにもいない…

 

それが幼少期の私の姿…

 

 

 

この寂しい思いが、次女に同じような寂しい悲しい思いをさせているなんて…

 

思ってもいなかった…

 

 

 

 

私の誕生日祝いに家族みんな揃って

 

外食に出かけた

 

 

その帰り道に

 

 

珍しく弟から電話が入る…

 

 

『お母ちゃんが死んだ!!』

 

 

えっ!まさか!

1週間前に電話で話したよ!

元気だったよ!

えっ!えっ!えっ!なんで??なんで??

 

 

混乱している私に夫は冷静に

自宅に帰りあれこれと私や娘に指示を出し家族四人で実家への道のりを急いだ

 

夫はその日アルコールを飲んでいたため、運転が出来ない、私はペーパードライバー…

運転免許取り立ての長女が運転することになった

 

 

片道車で5時間の距離を休憩しながら一人で運転を頑張ってくれた長女….

 

帰省の車の中でわんわん子どもの様に泣いていた私を見て

 

 

『大丈夫やで!お母さん!私頑張って運転しておばあちゃんのところまでなるべく早く連れて行ってあげるから!』

 

 

本当は免許取り立てで不安だったに違いないのに頑張ってくれた

 

 

あの時の長女の顔は忘れない…

 

『ありがとう!ありがとう!』

 

 

深夜1時頃、実家に到着

兄、姉、弟が出迎えてくれた…

みんな憔悴しきっていた…

 

いつものように風呂に入って

長い時間上がって来ない母を心配した兄が風呂場を覗くと…

浴槽の中でぐったりしており慌てて浴槽から引き上げ、救急車を呼んだか既に息をしていなかったようだ

 

警察の対応や病院での解剖などをして

やっとで帰ったところだと…兄や弟が…

 

 

 

母の顔を見ていると

本当に眠っているかのようで信じられなかった

手を触ると冷たくて…

その冷たさが悲しくて、悲しくて

 

また嗚咽と共に大粒の涙が溢れでた…

 

 

1週間前に喋って元気だったのに…

 

 

 

 

私は母が大好きだった…

私は厳しく育てられいつの日か大喧嘩してから、いろんなことがあり疎遠になっていた

 

そんな事をカウンセラーの先生に言うと

 

『お母さんに娘さんの病気のこと相談出来ますか?』

 

私は絶対に相談出来ない、心配させたくない

と言うと

 

『勇気を出して相談してごらん?電話で話すだけでもいい、お母さんも高齢なんだから今のうちに仲直りしないとね』

って言っていただいたが

 

なかなか母への反発心や

相談しても母の言いそうな否定的な言葉が目に見えて怖くて電話出来なかった…

 

やっと電話したのが1週間前…

 

 

あの優しく励まし答えてくれた母の声だった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

②カウンセリング娘と共に

 

ほとんど家から出られなくなった次女

 

私と二人で家に引きこもる…

 

これではダメだ、

どうしても次女を治してあげたい…

 

こんな風になったのも私が全て悪いと自分を責め続けていた…

 

 

やはり以前のカウンセリングを受けたい

あの場所、あのカウンセラーの先生しか治せない…

 

 

しかし金銭面のことだけがネックになっていた

 

 

夫に相談出来ない日々が続き…

 

私の心も限界に近づいていた

 

 

電話相談だけでもお願いしようと

電話をかけ相談に乗っていただく…

 

毎日毎日、暗く辛く不安で、不安で…

カウンセラーの先生の声を聞いただけで大泣きしてしまった私

一回だけでもいいからカウンセリングの予約をお願いする…

 

夫に直接、【カウンセリングをしたい】と言えない私は、自分自身のこと、次女をどうしても治したいこと、長い長いメールを夫に向けて送信した…

 

 

夫からの返信は

『わかった、なんとかしよう』

 

金銭面のことで、絶対に反対されると思っていた私

 

うれしくて、うれしくて…

夫に感謝するしかなかった…

 

 

 

 

 

 

外に出られなくなった次女を連れて

夫の運転する車で1時間以上かけてカウンセラーの先生の自宅までカウンセリングを受けに行った

 

 

対人恐怖症のようになっていた次女はカウンセラーに会うのを嫌がっていた

 

次女の身体を支えながら連れて行った

 

カウンセリングでは

まず次女と話がしたいからと、次女とカウンセラーだけ別室での対面だった

 

次に私が呼ばれ

『次女を抱きしめてあげてください』

と言われ、次女を抱きしめる

 

抱きしめている私達  親子を観察していた

 

その後

娘は別室へ、私とのカウンセリングが始まった

 

今までの次女の経緯や症状を説明

家族構成や家族の年齢、職業など家族構成全てを聞かれた

 

まず最初に

【カウンセリングをするため、私には嘘、偽りなく言ってほしい】と念を押された

 

【子どもが学校に行けないと言う結果には

必ず原因がある】

 

子どもにとって愛情は大切

 

お母さんが1番大事

 

結果が招いた原因を取り除くには時間が必要

 

長い期間  母と子の間違った関係性を正しくするには少しずつしか改善しない

薄皮を剥がすように少しずつしか出来ません

 

焦らないで…

 

必ず良くなります

 

よくカウンセリングで教えてもらった言葉

 

 

 

私は何としてでも娘のため頑張る

 

何としてでも次女を治さなければ…

 

その思いばかりであった…

 

 

自分のことばかりの私

 

目の前の苦しさから逃げたくて

 

同じように苦しんでいた

夫や長女のことなど考えることなんか出来なかった…